概要と結果
1972年11月7日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙は、現職のアメリカ大統領リチャード・ニクソンとサウスダコタ州上院議員ジョージ・マクガバンとの間で争われました。選挙の結果、ニクソンが圧勝し、選挙人投票では520票、マクガバンは17票を獲得しました。得票率はニクソン約60.7%、マクガバン約37.5%で、ニクソンは50州中49州で勝利しました(マクガバンは大都市圏を中心に票を集め、選挙人票17票を得ました)。
- 選挙日:1972年11月7日
- 選挙人投票:ニクソン520票、マクガバン17票
- 得票率(概数):ニクソン約60.7%、マクガバン約37.5%
ランニングメイトと予備選での出来事
民主党候補のジョージ・マクガバンは当初、上院議員トーマス・イーグルトンを副大統領候補に指名しましたが、イーグルトンの過去の精神医療受診歴が公になったことを理由に、指名取り下げとなり、最終的にサージェント・シュライバーがマクガバンのランニングメイトになりました。副大統領候補の交代は当時の選挙戦に混乱を招き、民主党の結束には悪影響を及ぼしました。
ジョージ・ウォレスの事件
アラバマ州知事のジョージ・ウォレスは選挙期間中に暗殺未遂を受けました。1972年5月15日にメリーランド州ローラルで遊説中に暗殺者と思われる人物に撃たれ、重傷を負い下半身不随になったため、その後の大統領選出馬や運動は事実上不可能になりました。この事件は全国に大きな衝撃を与え、選挙戦の政治情勢にも影響しました。
ウォーターゲート事件と選挙への影響
この選挙は、ウォーターゲート事件の最中に行われました。1972年6月の民主党全国委員会本部への侵入事件はその後の捜査で次第に大統領側近や行政の関与が問われる事態に発展しましたが、選挙当時はニクソンの支持基盤が依然として強く、経済状況や外交(対中国関係の改善やベトナム戦争の停滞的進展など)もあって大差の勝利につながりました。とはいえ、ウォーターゲートをめぐる捜査は選後も続き、最終的には録音テープの公開や議会の提出要求をめぐる対立を経て、ニクソンが1974年8月に辞任するという歴史的結末を迎えています。
その他の注目点
ジョン・ホスパースは、バージニア州の無信任選挙人により、1票の選挙人票を得たことでも知られます。これはリバタリアン党の候補者としての象徴的な得票で、選挙人の信義に反して別の候補に投票する「無信念選挙人」(faithless elector)の例として注目されました。
歴史的意義
ニクソンの1972年の勝利は、当時の共和党候補者としては最大級の勝利であり、後に1984年にロナルド・レーガンが大差で再選されるまで続いた記録的な得票状況の一つでした。しかしウォーターゲート事件の余波により、勝利の後に政権が深刻な危機に直面し、アメリカ政治の倫理や大統領権限に対する国民の監視意識が強まる契機ともなりました。



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