リサ・デラ・カサ 1919-2012 モーツァルトとR・シュトラウスで名高いスイスのソプラノ
1919-2012 リサ・デラ・カサの伝記と名演に迫る スイスの名ソプラノとしてモーツァルトとR・シュトラウスのオペラで頂点を極めた1950〜70年代の代表役や名録音 美しさと自然な歌唱の魅力
リサ・デラ・カサ(Lisa Della Casa、1919年2月2日 スイス・ブルグドルフ生まれ - 2012年12月10日 スイス・ミュンスターリンゲン)は、スイスのソプラノ歌手である。1950年代から1970年代半ばにかけて、モーツァルトやリヒャルト・シュトラウスのオペラで名声を博し、その気品ある美貌と自然で清澄な歌唱で知られた。
経歴と活動
スイスで音楽教育を受け、若くして舞台に立つ。戦後まもなく中欧の主要歌劇場で頭角を現し、ウィーンを拠点に国際的なキャリアを築いた。1940年代後半からザルツブルク音楽祭にたびたび出演し、ウィーン国立歌劇場では中核的レパートリーの主役として長く活躍。1950年代にはロンドン、ニューヨークなど世界の大歌劇場にも進出し、上品で端正なスタイルと流麗なレガート、言葉の明晰さで幅広い聴衆と批評家の支持を得た。舞台では華やかさと内面的な深みを兼ね備えた演技で知られ、成熟期には円熟味ある解釈で同世代を代表するモーツァルト/R・シュトラウス歌手として不動の地位を確立した。1970年代半ばに第一線を退き、故郷スイスを拠点に静かな生活を送りながら後進の指導にも携わった。2012年、ミュンスターリンゲンで没。
レパートリーと代表的な役柄
- モーツァルト:フィガロの結婚の伯爵夫人、ドン・ジョヴァンニのドンナ・エルヴィラ、コジ・ファン・トゥッテのフィオルディリージ、魔笛のパミーナ など。純度の高い発声と気品あるフレージングで、古典様式の美を体現した。
- R・シュトラウス:アラベラ(タイトルロール=当たり役)、ばらの騎士の元帥夫人、ナクソス島のアリアドネのアリアドネ/プリマドンナ、アラベラのツデンカ(初期の当たり役)、カプリッチョの伯爵令嬢マドレーヌ など。気品と抒情に富む表現で、シュトラウス作品の理想像の一つと評価された。
舞台と共演
- ウィーン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭を中心に活躍し、メトロポリタン歌劇場やコヴェント・ガーデンなど主要歌劇場に定期的に客演。
- 指揮者ではカール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤンらと緊密に協働。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演も多く、オーケストラと一体化した柔らかな音色で聴衆を魅了した。
録音と評価
- オペラ全曲録音に加え、アリア集や歌曲集でも高い評価を確立。特にR・シュトラウスの歌曲(「四つの最後の歌」を含むプログラム)やモーツァルトのアリアは、清澄な響きと自然なカンタービレの見本として長く参照されている。
- 録音では舞台と同様に過度な誇張を避け、テキストの意味を大切にする解釈で作品の構造美を浮き彫りにした。透明感のある声質は録音栄えし、今日でも名盤として親しまれている。
芸風と遺産
- 強いドラマ性よりも、作品の品格・均衡・語りの自然さを重視するスタイル。端正でありながら冷たさのない温かみが持ち味で、モーツァルトとシュトラウス解釈の規範の一つとなった。
- 彼女の芸は後続世代のリリック・ソプラノに大きな影響を与え、レパートリー選択やフレージング、言葉への寄り添い方に至るまで、今なお比較の基準として語られる。
その生涯を通じ、リサ・デラ・カサは「声の美しさ」と「音楽の真実性」を両立させた稀有な歌手として記憶されている。
人生とキャリア
デラカサの父親はイタリア系スイス人の医者だった。母親はバイエルンの出身である。チューリッヒ音楽院でマルガレーテ・ヘイザーに歌唱を学ぶ。1940年、ソロトゥルン=ビール市立劇場でプッチーニの『蝶々夫人』を歌い、オペラに初出演した。1943年にチューリッヒ市立歌劇場のアンサンブルに参加し、1950年まで在籍した。
1946年、チューリッヒでリヒャルト・シュトラウスのオペラ『アラベラ』のズデンカ役を歌い、翌年には、その後何度も歌うことになるザルツブルク音楽祭で初めて歌い、その歌声を披露した。公演後、リヒャルト・シュトラウス自身はこう言った。"あの娘はいつの日かアラベラになる!"と。同年、彼女はウィーン国立歌劇場で初めて歌い、ヴェルディの『リゴレット』のジルダを歌った。まもなくウィーンに移り住み、ウィーン国立歌劇場のアンサンブルに加わった。1949年、ミラノ・スカラ座でリヒャルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』のソフィーとベートーヴェンの『フィデリオ』のマルツェリーネを歌い、ミラノに移った。ミラノへの移住を勧められたが、ウィーンに留まることを選択した。
グラインドボーン音楽祭でモーツァルトの『フィガロの結婚』のアルマヴィーヴァ伯爵夫人を歌い、英国に初めて登場した。1951年、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で初めてアラベラを歌った。その後、この役で最も有名になった。1952年、バイロイト音楽祭でワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のエヴァを歌ったが、論争が絶えないバイロイトの雰囲気が気に入らず、二度とバイロイトには戻らなかった。1953年から1968年まで、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で定期的に歌い、絶大な人気を博した。
1955年にウィーン国立歌劇場が修復されたとき、「薔薇の騎士」の特別公演があった。彼女はマルシャリン役を歌ったので、このオペラの有名なソプラノ3役、マルシャリン、オクタヴィアン、ソフィーをすべて歌ったことになる。
1960年には、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のもと、新築されたばかりのザルツブルク音楽堂でマルシャリンの役を歌うなど、ザルツブルク音楽祭で多くの偉大なオペラ役を演じ続けた。
1961年にミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で上演された『サロメ』のような劇的な役もいくつか歌ったが、ほとんどは叙情的な役を歌った。有名なソプラノ歌手エリザベート・シュヴァルツコフが初めてMETで歌ったとき、彼女は『薔薇の騎士』のマルシャリン役を歌い、デラ・カサがオクタヴィアンを歌った。
1974年、ザルツブルクで「アラベラ」を歌った後、引退を表明し、周囲を驚かせた。音楽家としてのキャリアを断念し、静かな家庭生活を営んだ。.
フィガロの結婚』のアルマヴィーヴァ伯爵夫人(エーリッヒ・クライバー指揮)や『アラベラ』のアラベラ役(ゲオルク・ショルティ指揮)など、オペラの全曲録音を数回行った。これらの録音は、今でも最高級のものと考えられている。1953年には、リヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」(カール・ベーム指揮)を見事に録音している。
私生活と死
1947年、ユーゴスラビア出身のジャーナリスト、ドラガン・デベリェビッチと結婚。二人の間には娘が一人いたが、幼いころに重い病気にかかった。娘は、後年、リサが自身の健康問題を抱えたとき、自分が子どもの頃に受けた愛情や配慮の一部を母に返すことができたと語っている。2012年12月10日、カサはスイスのミュンスターリンゲンで自然死した(享年93歳)。彼女の功績を称え、黒い旗が掲げられた。
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