犬の心臓』は、ミハイル・ブルガーコフの小説である。新ソビエト人」を痛烈に風刺した作品である。1925年、共産主義が弱体化したと思われるNEP時代の真っ只中に書かれたものである。
テーマは、「人類を根本的に変えようとする(共産主義)革命の誤った試み」です。ファンタジーやSFの要素があり、ウィットとユーモアに富んでいます。
この本は当初、ソ連では出版が禁止されていた。1987年にソ連で正式に出版されるまでは、サミズダートで流通していたという。小説家ミハイル・ブルガーコフが「最も愛した物語のひとつ」であり、「人間の形をしたシャリックという名の野良犬」が、だらしなくも独り善がりな新ソビエト人として登場する。冒頭の、都会での生活に不満を抱く犬の独白が、この小説の舞台となっている。
あらすじ(簡潔)
モスクワの路上で暮らしていた野良犬シャリックは、著名な外科医プレオブラジェンスキー教授のもとに連れて来られます。教授はシャリックに人間の内分泌腺(脳下垂体)と生殖器の移植を行い、シャリックは次第に人間の姿と振る舞いを獲得していきます。新しい人名(シャリコフ)を与えられた彼は、どこか粗野で無神経、革命的な言辞を振りかざして周囲を混乱させます。やがてシャリコフの行動は家庭内や近隣社会に深刻なトラブルを招き、教授は自らが始めた「実験」の倫理性と危険性を痛感します。結末では教授が問題の解決に向けて手を尽くし、物語は人間改造の愚かしさと限界を示して終わります。
主要な登場人物
- シャリック/シャリコフ:もともと野良犬で、手術によって人間の姿と性格を部分的に獲得する。新体制に同調する粗暴な「新ソビエト人」を象徴する存在。
- プレオブラジェンスキー教授:優れた外科医であり科学者。人間改造の実験を行うが、その倫理的帰結に苦悩する。
- ボルメンタル(助手):教授の若い助手で、実験に関わる立場から物語に影響を与える(人物の立場や若さによる理想主義も描かれる)。
- 行政・近所の人物(革命的活動家など):シャリコフと衝突したり、社会的圧力を象徴したりする役割を持つ。
背景と主題
本作はNEP期のソ連社会を背景に、革命が「人間そのもの」を作り変えようとする試みを風刺しています。ブルガーコフは科学万能主義や社会工学的な社会改造、そして新しい社会規範を盲目的に押し付けようとする姿勢を批判します。物語は単なる政治風刺を超えて、倫理、個人の尊厳、知的エリートと大衆の関係を問いかけます。
文体と表現
作品はブラックユーモアや皮肉に満ち、ファンタジーやSF的要素を借りながらも、写実的な社会観察と混ざり合っています。変身という物語装置を用いて、日常の些細な出来事や会話のやりとりから強い風刺効果を生み出すのが特徴です。
出版史と検閲
ブルガーコフは当時の検閲により公然と批判を受ける立場にあり、この作品もソ連当局から問題視されました。公式には長らく禁じられ、サミズダート(地下出版)で回覧されていた歴史があります。ソ連での正式出版はペレストロイカ期に入った1987年に実現しました。
評価と影響
「犬の心臓」はブルガーコフの代表的な中短篇の一つとして国際的にも評価され、ロシア文学における風刺小説の名作とされています。後に映画化・舞台化・オペラ化されるなど、幅広いメディアで再解釈され続けています。今日でも政治的・倫理的問いを投げかける作品として読み継がれており、文学や演劇、社会学の分野で議論の対象になっています。
読書のポイント
- 「変身」は文字どおりの奇想だけでなく、社会的・倫理的メッセージを帯びている点に注目すると理解が深まります。
- 登場人物の会話や日常描写に含まれる皮肉や風刺表現を読み取ると、当時のソ連社会に対する批判が見えてきます。
- 科学技術への過信と人間性の問題という普遍的なテーマが込められているため、現代にも通じる示唆があります。