フランシス・バーニーFrances Burney、1752年6月13日 - 1840年1月6日)は、イギリスの小説家日記家、劇作家。一般にはファニー・バーニー(Fanny Burney)として知られ、結婚後はマダム・ダーブレイ(Madame d'Arblay)と呼ばれた。イギリスのキングス・リンで生まれ、音楽学者であり音楽家でもあった父チャールズ・バーニー博士(1726年 - 1814年)と母エスター・スリープ・バーニー(1725年 - 1762年)の間に育った。家庭教師や父の蔵書などを通してほとんど独学で学び、幼少期から執筆を始めた。10歳頃から「走り書き」の形で創作に親しんだ記録が残る。

文学活動と主な作品

バーニーの最初の長編小説は匿名で刊行されたEvelina(1778年)で、若い女性が社交界に出て経験を積み人格を形成していく過程を描き、刊行と同時に大きな評判を呼んだ。続くCecilia(1782年)はさらに成功を収め、後の作品とともに「感情と風俗」を扱う諷刺的かつ同情的な作風が評価された。1796年に発表されたCamillaも、若い女性の成長と道徳的選択を主題とした長編である。

  • Evelina(1778年)— デビュー作、社交界の経験と成長を描く。
  • Cecilia(1782年)— より複雑な人物造形と社会批評を含む。
  • Camilla(1796年)— 青年期の教育と道徳をテーマにした長編。
  • The Wanderer; or, Female Difficulties(1814年)— フランス革命とその影響を題材にした作品(日本語訳題に『放浪者』など)。

作品全体を通して、バーニーは若い女性の視点から風俗や階級、道徳的選択を繊細に描いた。彼女の細やかな人物描写と社会観察は、後の作家、特にジェーン・オースティンに影響を与えたとされる(ジェーン・オースティンに好かれたとの評価もある)。

宮廷勤めと日記・書簡

1786年、バーニーはシャーロット王妃のローブの第二番の番人として宮廷に仕え、その経験から得た観察を豊富に日記や手紙に残した。彼女の日記や書簡は当時の宮廷生活や社交界の生きた証言として歴史家や研究者(たち)の重要な資料となっている。

私生活と晩年

1793年、バーニーはフランスの亡命将校アレクサンドル・ダーブレイ将軍(Alexandre d'Arblay)と結婚し、1794年に息子アレクサンダーをもうけた。1802年から1812年まで一時的にフランスに滞在した経験があり、これらの体験は後の作品にも影響を与えた。

1811年、バーニーは重大な乳房摘出手術(当時は麻酔が未発達)を受け、その時の詳しい記録を日記に残した。この手記は医療史上も注目される一次資料として知られている。

著作の後半と遺産

1814年に刊行された『The Wanderer』はフランス革命と女性の困難を扱い、彼女の作品群の一つの到達点となった。晩年には父チャールズ・バーニーについての回想録をまとめ、『バーニー医師回想録』(1832年)などを出版している。バーニーの小説、日記、書簡は当時の社会や女性の立場、宮廷生活を生き生きと伝える資料として現在でも高く評価されている。

1840年1月6日、バーニーはロンドンで没し、その遺骸は夫と息子の近くのバースに埋葬された。彼女の作品は近代小説の形成に寄与し、女性作家の地位向上にも影響を与え続けている。