1824年のアメリカ大統領選挙は、一般選挙で最多得票を得た候補者が大統領に自動選出されないまま、下院が最終決定を下すという異例の結末になりました。最終的に第6代大統領に選ばれたのはジョン・クインシー・アダムスがでした。
候補者と背景
当時は政党間の明確な対立ではなく、いずれも当面の支配政党であった共和党(民主共和党)の内部対立という形で選挙が行われました。大統領候補として主要なのは次の五人でした:
- ジョン・クインシー・アダムス(マサチューセッツ出身、外交経験豊富)
- アンドリュー・ジャクソン(戦争の英雄として人気が高かった)
- ウィリアム・H・クロフォード(南部の指導者で病弱だったが支持基盤があった)
- ヘンリー・クレイ(下院議長で、広範な人脈と影響力を持っていた)
- ジョン・C・カルフーン(副大統領候補としての支持が強く、実質的に副大統領職を目指す動きもあった)
選挙結果(人気投票と選挙人投票)
アンドリュー・ジャクソンは国民の支持(人気投票)でも最多を得ており、選挙人投票でも最多の99票を獲得しました。次いでアダムスが84票、クロフォードが41票、クレイが37票でした。総選挙人数は261票で、過半数(131票)に到達する候補者がいなかったため、合衆国憲法修正第12条の規定により、大統領は選挙人投票上位3名のうちから下院が選ぶことになりました。
下院での決定と「腐敗の取引」疑惑
1825年2月、州ごとの下院代表団による決選投票が行われ、最終的にジョン・クインシー・アダムスが大統領に選出されました。下院では上位3人(アダムズ、ジャクソン、クロフォード)が対象であり、ヘンリー・クレイは選挙人上は4位であったため選考対象から外れていましたが、下院議長としての影響力を行使してアダムズ支持に回ったとされます。
その後アダムズはクレイを国務長官に任命しました。この人事を巡りジャクソン側はアダムズとクレイの間で密約があったと非難し、これがいわゆる「腐敗の取引(corrupt bargain)」と呼ばれる論争を生みました。実証的に完全な証拠が存在するわけではないものの、当時の政治的対立を激化させる大きな要因となりました。
選挙の意義とその後の影響
1824年選挙は、以下の点でアメリカ政治に重大な影響を与えました:
- 党派の再編:選挙後、ジャクソン支持派は組織化されて民主党(ジャクソン派)へと発展し、アダムズ支持派やクレイらは後の国民共和党(やのちのホイッグ党)へとつながる陣営を形成しました。
- 大衆政治の台頭:この選挙は一般票の重要性が高まった初期の例であり、地域間の支持基盤や大衆的な人気が政治に決定的な影響を与えることを示しました。
- 1828年選挙への布石:「腐敗の取引」への反発を背景に、アンドリュー・ジャクソンは1828年に再挑戦し、最終的にアダムズを破って大統領に就任しました。
補足として、アダムズは第二代アメリカ合衆国大統領ジョン・アダムスの息子であり、その家系と経歴も当時の政治的重みを持っていました。


