モロッコグランプリは、グランプリ・モーターレースのイベントである。1925年にモロッコのカサブランカで始まったもので、当初の正式名称は「カサブランカ・グランプリ」であった。設立当初は市街地や臨時の周回路を用いる形で行われ、欧州勢や地元ドライバーが参加して地域のモータースポーツ文化を育んだ。

1930年代〜戦間期の移転と中断

1930年、レースは新しく整備されたアンファ競馬場(Anfa)付近のコースへと移された。だが、1930年代から戦中にかけては開催が安定せず、1933年にはレースが行われなかった。さらに、第二次世界大戦の影響や戦後の混乱もあって、1935年から1953年までは長期間の中断期間に入った。

1950年代の復活とアガディール開催

戦後の復興期に入るとモータースポーツ熱は再び高まり、1954年にカサブランカ以外の都市でもレースが復活した。1954年からはアガディール市のスポーツカー用サーキットでの開催が行われ、スポーツカーレースや国際的なイベントが招致されるようになった。

Ain-DiabサーキットとF1参入(1957–1958)

カサブランカ近郊の海岸沿いにあるアインディアブ(Ain-Diab)に建設された新しい周回路は、長いストレートと高速のコーナーを備えた臨時市街地コースで、1957年にモロッコGPのF1レース(ノン・チャンピオンシップ・イベント)が開催された。1957年は世界選手権ポイントの対象にはならなかったが、国際的な注目を集めた。

1958年はモロッコGPがF1世界選手権の公式戦として組み込まれた唯一の年であり、その年の最終戦としてシーズンを締めくくった。レース自体は非常に注目される内容となったが、同時に深刻な事故も発生した。

1958年の事故とその影響

1958年のレースでは、英国のドライバー、スチュワート・ルイス=エヴァンス(Stuart Lewis‑Evans)が重大なクラッシュを起こし、重度の火傷を負って後に死亡した。この事故はレース関係者や観客に大きな衝撃を与え、当時のチーム(特にVanwall)にも深刻な影響を及ぼした。この悲劇が一因となり、同国内での大規模なF1開催は続かなかった

遺産とその後のモロッコのモータースポーツ

結果として、1958年の開催がモロッコで開かれた最後のF1グランプリとなった。だがモロッコ国内でのモータースポーツの伝統は消えたわけではなく、その後も国内外のスポーツカーレースやツーリングカー選手権、さらに近年ではマラケシュなどで国際レース(例:FIAツーリングカーカップ、フォーミュラEのマラケシュEプリックスなど)が行われるなど、多様な形で競技は継続している。

モロッコグランプリは短い開催史であったが、欧州と北アフリカをつなぐ歴史的なモータースポーツの一端を担い、当時のドライバーやチーム、観客に強い印象を残した。現在でも自動車レース史を語るうえで重要なエピソードの一つとされている。