ジョセフ・バーン(Joseph Byrne、1856年11月 - 1880年6月28日)は、オーストラリアのブッシュレンジャーで、しばしばケリー・ギャングの副官として紹介される人物です。1880年のグレンローワンの包囲で致命傷を負い射殺されました。バーンは射撃の腕が立ち、馬術やブッシュでの生活にも長けていたため、当時の警察にとって捕縛が難しい人物の一人でした。
生い立ちと性格
バーンは1856年11月に生まれ、比較的若くして反抗的な生活を選びました。文字を書く能力があり、教養も一定程度備えていたため、集団内では単なる武闘派以上の役割を担いました。冷静で機転が利く人物とされ、仲間からの信頼も厚かったと伝えられます。
ケリー・ギャングでの役割
ネッド・ケリー率いるギャングでは、バーンは副官的な存在として作戦や交渉、連絡役を務めることが多くありました。具体的には次のような点で重要な役割を果たしました:
- 射撃と騎乗による実戦面での戦力提供
- ブッシュでの行動に有利な地理的知識や生存技術の提供
- 仲間の意図を文章にまとめるなど、筆記・表現面での補佐
ジェリルデリー書簡(ジェリルデリー書簡の筆者)
バーンはケリー一行のために文章を書く能力があり、特に有名なのがジェリルデリー書簡との関わりです。現在では、ジェリルデリー書簡はネッド・ケリーが口述し、バーンが筆記した、あるいはその作成を助けたと広く考えられています。書簡は当時の社会や正義観、ケリー側の主張を強く伝えるものであり、後のケリー伝説形成に大きく寄与しました。
グレンローワンの包囲と最期
1880年6月、ケリー・ギャングは警察をおびき寄せる目的で多数の計画を実行し、その終局がグレンローワンの包囲でした。バーンはその場で警察との銃撃戦に巻き込まれ、致命傷を負って射殺されたとされています。包囲はギャングの終焉を意味し、ネッド・ケリーはのちに逮捕・裁判にかけられました。
遺産と伝説
バーンはその若さと才能、そして悲劇的な最期により、ケリー伝説の重要人物として記憶されています。彼の筆力や弁舌がなければ、ケリー側の主張や物語がこれほど強く後世に残らなかったかもしれません。また、一部にはネッド・ケリーがバーンの助けを借りてビクトリア州北東部に独立した共和国を作ろうとしたという伝説もあり、グレンローワンの包囲がその第一歩だったと語られます。史実と伝説は混在しますが、バーンの存在がケリー物語の形成に果たした影響は非常に大きいと言えます。
