ロアノーク植民地は、謎の失踪を遂げた北米のイギリス植民地である。"ロストコロニー "と呼ばれている。現在のアメリカ・ノースカロライナ州デア郡のロアノーク島にあった。1585年、サー・ウォルター・ローリーによって始められた。1587年から1590年の間に消滅した。今日、そこに住んでいた人たちに何が起こったのか、誰も知らない。
背景
16世紀後半、イギリスは新世界に恒久的な植民地を築こうと試みていた。サー・ウォルター・ローリーは北アメリカ沿岸での植民事業を支援し、複数回の遠征が行われた。ロアノーク島は一時的な拠点として選ばれ、最初の入植は1585年に行われたが、食糧不足や資金・補給の問題から長続きしなかった。
1587年の入植とジョン・ホワイト
1587年、再び入植団がロアノークに到着し、ジョン・ホワイトが総督を務めた。入植者は女性や子どもを含む約100人前後とされ、ここでヴァージニア・デア(Virginia Dare)という、イングランド生まれの最初の子どもが誕生した(1587年8月)。
入植初期に食糧や他の補給品が不足したため、ホワイトは救援物資を取りにイングランドへ帰還した。しかし1588年のスペイン無敵艦隊との戦いや私掠船の活動、航海用資金と船の不足などで帰還が遅れ、予定より長く母国に留まることになった。
失踪と「CROATOAN」刻印
ホワイトが1590年にようやくロアノークに戻ると、入植地は無人になっていた。建物は片付けられ、争った形跡や遺体は見つからなかった。残されていたのは、柵の柱に刻まれた文字「CROATOAN」と、木に刻まれていた短い文字列(伝承では「CRO」など)だけだった。
当時、「Croatoan」は現在のハッテラス島(Croatoan Island、現在のハッテラス=ハッテラス諸島の一部)に住む先住民集団の呼称であり、ホワイトは刻印を見て入植者がその地へ移動した可能性を考えたが、天候や船団の事情などで捜索できなかったという記録が残る。
有力な説(主な仮説)
- 先住民との同化説 — 多くの歴史家が支持する説。入植者が近隣の先住民(特にクロアトアン/ハッテラス族など)と合流し、暮らしの一部として吸収された可能性。後年、先住民の集落からヨーロッパ製の品や混血の人物に関する証言があることが、この説の根拠の一つ。
- 移住・南方移動説 — 食糧不足や環境変化により、入植者の一部が内陸やチェサピーク湾方面へ移動したとの説。移住先で別の集落に加わった可能性を指摘する研究もある。
- スペインや他勢力による襲撃説 — スペインが彼らを排除した、あるいは捕虜にしたという説。ただし直接的な証拠は乏しい。
- 飢饉・疫病・暴力による壊滅説 — 病気や飢え、あるいは地元部族との武力衝突で入植者が全滅したとする説。だが遺体や大規模な破壊の痕跡が見つかっていない点は説明が難しい。
考古学的調査と最近の発見
ロアノークと周辺地域では20世紀末から21世紀にかけて継続的に考古学調査が行われている。調査により、ヨーロッパ製の小物や道具の断片、先住民との接触を示す混合遺物が発見されることがあり、入植者が完全に消滅したのではなく何らかの形で先住民社会と関係を持った可能性を示唆している。
ただし、決定的な「失踪の瞬間」を示す証拠や、全員の行方を追跡できる確定的な遺骨・文書は見つかっておらず、研究は継続中である。調査方法の進展(地中レーダー、古環境解析、精密な年代測定など)により、将来的に新たな手がかりが得られることが期待されている。
文化的影響と記憶
ロアノーク植民地の消失はアメリカとイギリスの歴史における象徴的な謎となり、演劇(「The Lost Colony」の屋外劇など)、小説、学説、テレビ・映画などで繰り返し取り上げられてきた。史実と伝説が混ざり合い、一般の関心は今も高い。
まとめ
ロアノーク(ロストコロニー)の失踪は、歴史学・考古学の未解決問題の代表例である。複数の合理的な仮説は存在するが、いずれも完全な説明には至っていない。現代の科学的調査や史料研究の進展が、いつかこの謎により明確な答えをもたらす可能性がある。しかし現時点では、入植者たちの最終的な運命は依然として歴史の謎のままである。




