エドワード・ドリンカー・コープ(Edward Drinker Cope、1840年7月28日 - 1897年4月12日)は、アメリカの生物学者で、特に北アメリカの化石動物の研究で知られる。生涯を通じて膨大な標本収集と記述研究を行い、現代の古脊椎動物学(古生物学・比較形態学)の基礎を築いた人物の一人である。コープはペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれ、幼少期から自然史に強い興味を示した。
コープは職業としての古生物学者、比較解剖学者、爬虫類学者、魚類学者であった。非常に多作であり、生物の形態や系統に関する記述を中心とした論文を多数発表した。彼の両親は裕福なクエーカー教徒で、恵まれた環境が若いコープの研究活動を支えた面もある。
家族は彼に農業や穏当な職業を望んだ時期もあったが、コープは博物学・科学研究の道を選んだ。彼はいとこと結婚した。その後、フィラデルフィアで個人的に集めた標本を基にした小規模な博物館を所有した。私財を投じて標本収集と研究を続け、地域の学術コミュニティにも大きな影響を与えた。
ほとんどを独学で学び、現場での採集と比較解剖に基づいて多くの発見を成し遂げた。彼は専門の教育者(常勤の大学教員)ではなく、主にフィールドワークと論文執筆で業績を築いた。1870年代から1880年代にかけては、政府に土地や地質状況を報告するためにアメリカ西部に行った。西部探検や鉱区の調査に従事し、しばしば米国地質調査所の派遣調査チームや地図作成隊に加わって化石採集を行った。
コープはしばらくの間、オトニエル・チャールズ・マーシュと恐竜を探すために激しく競い合った。この二人の対立は後に「骨の戦争」と呼ばれ、標本の奪い合いや情報の秘匿、時には相手の名誉を傷つけるような言動も伴った。こうした競争は一方で多量の新標本と新属・新種の提示を促したが、科学的態度の面で批判も招いた。
研究活動には多額の費用がかかり、コープはしばしば私財を投じた。1880年代には銀鉱山で大損をしてしまい、その影響で1886年には自身の化石コレクションの一部を売却せざるをえなくなった。晩年には経済的に持ち直した時期もあったが、1897年に57歳で没した。
コープは生涯に約1400本の論文を科学雑誌に発表したと言われ、発見・記載した種は1,000種以上にのぼる(その後、多くが同定や統合によって別名とされたものもある)。彼は何百種類もの古代魚について記述を残し、数十種類の恐竜を新たに提示した。また、哺乳類の臼歯の進化に関する研究や、北米の両生類と爬虫類に関する大著を発表するなど、幅広い分野で重要な業績を残した。
コープは馬の進化を例に取り、森林から草原へ生息地が変わる過程で体の大型化が進んだと示した。このように化石記録において哺乳類が時間とともに大きくなる傾向を指す考え方はしばしば「コープの法則」と呼ばれる。しかしこれはあくまで一般傾向の指摘であり、すべての系統に当てはまるわけではないこと、サイズ変化の原因や選択圧は系統ごとに異なることが後の研究で示されている。
評価としては、コープは記述的で膨大なデータを残した点で古生物学の発展に不可欠な役割を果たした一方、学説の提示や命名が急ぎすぎたために後年整理や訂正を要した例も多い。彼の業績は博物館標本、学術論文、命名された種名の形で現在も残り、学界や博物館史に大きな影響を与え続けている。




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